足腰が動くうちに・・・と、耳年寄りのごとく、多くの人が言っていることを見聞きしていたものの、
知識のうちのひとつとして他人事のように思っていた。
自分のこととして捉える時期が、ほんとうに
Yumei好用足音を立てて刻一刻と近づいていると実感する。
こんなキモチは、若い人にはわからない。
ほんの少し前の自分でさえ、ぜんぜんピンときていなかったのだから。
キモチが醸成され飽和状態になり、さあやるぞ!!と、やる気にミチミチあふれてきたというのに、
その段階では、カラダが言うことをきかない。
「ほんと、人間は愚かだね」、と、言うために、神様は出現し、愚かな人間を赦してくれるのか。
はたまた、あざ笑うのか。
はやばやと気付く人は、カラダが動く間に、とっとと計画
通渠佬を立てて、そこそこ満足のいく人生を送っていることだろう。
ただし、強欲にまみれている人(わたしのような)は、どんなに好き勝手しようが、
人生、悔いがなかった・・・と、爽やかに言い切れないだろう。
執念、執着が、たっぷりあることだろう。
自分の「欲」に対しての、執着である。
この際、人なんか、どうでもいい。
あきらめのいい、爽快で、すっきりした、澄み切った秋空みたいに、
目の前にあるであろう黄昏の草木、枯れ枝を眺めていたいものだ。
カサカサ踏むと、壊れ砕け散る枯れ草。
が、それは、無理。
ぬめっ、じとっ、べちゃっとした、何層にも重なり吹き溜まる濡れ落ち葉のごとく・・・だろう。
そして、なんども言うが、対象は他人ではなく、自分。
所詮、わたしは自分のことにしか興味がないのだ。
他人は、自分を確認、認識するため、客観視
Dream beauty pro 脫毛するための、ツール、測りにすぎない。
なので、羨ましいとか、妬ましいとか、思わない。
わたしより若い人たちは、いずれ、あなた方も同じ道。
わたしよりうんと年上の方々は、・・・うーーん・・・、
ああいうふうにはなりたくないが、あれが現実・・・と、冷静に自分の将来の姿をさらしてくれる。
なかには、あんな枯れ方、そして最善のこの世の去り方をしたいものだと、理想を描くが。