もう、あの街を再び訪ねる機会はあるだろうか。
自由、そして気ままに足の向くままに、街を彷徨い歩くことの
安利傳銷喜びを味わえる日々が来るだろうか。
私の中の大切な場所、心の故郷(ふるさと)に帰る時が果たしてやって来るだろうかと、自らに問いかける日々が続いている。
あの日を境に確かに何かが変わった。
いやおそらく少し前からその兆候は間違いなく現れ始めていた。
今年の初めにあの風刺画のタブロイド紙発行元が襲われたシャルリー・エブド襲撃事件。
それはほとぼりが冷めると゛ころか、始まりにすぎなかったのだ。目に見えぬ氷山の一角のように、水面下で静かに息を潜めていた。
それなのに見てみぬ振りをしていた自分。
シャルリー・エブド本社とほぼ同時刻に、同じくイスラム過激派組織の犯行と見られるポルトドヴァンセンヌのスーパー人質立てこもり事件が起きた。
実は以前このポルトドヴァンセンヌ地区の
寰宇家庭ホテルに滞在したことがあった。初めてのパリ一人旅の記念すべき場所。犯行現場のスーパーには行かなかったけれど、地図で調べてみたら500メートルと離れていなかった。
見てみぬ振りをしようとした態度の裏には、決して人ごととは思えない恐怖の感情が押し殺され渦巻いていたと思われる。故郷を訪れることが出来なくなるかもしれないという恐怖と共に。
だが本当はもっとずっと以前から今回の11/13を連想させるテロ事件は、この街を震撼させていたのである。ちょうど今読んでいる本<私の中のシャルトル/二宮正之著>の一節にこんな文章がある。
……南フランスからパリに戻ると、秋口の冷たい長雨が連日のように舗道を濡らしていた。その上に、無差別の盲目テロがこれでもかこれでもかと相次いで起こり、一般市民の血を流した…。
この文章が書かれたのは、(恐らく1969年~1990年)今から四半世紀以上前と思われる。
フランス人はだから決して慣れていると言い切るつもりもないが、<自由>を何よりも大切に掲げている国。また、どこの街角の
安利呃人カフェでもおしゃべりやくつろぐ姿を旅人の目に楽しませてくれるだろう。
そんなフランスParisを目蓋の裏に思い描いてみる。
PARISから遠く離れていても…。